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地方競馬関係者インタビュー/
競馬ライター(元 ホッカイドウ競馬 堂山厩舎 厩務員) 永田 伸章さん

競馬ライター(元 ホッカイドウ競馬 堂山厩舎 厩務員) 永田 伸章さん (大阪府出身)
堂山厩舎で8年間、千葉の瀬口レーシングステーブルで1年間の計9年間馬の仕事に携わり、 現在は、ホッカイドウ競馬ひだか応援隊HP『がんばれ!ホッカイドウ競馬』で、コラムライターとして活躍中。

厩務員になろうと思ったきっかけ

 小さい頃から時代劇が好きで、よく時代劇に出てくる馬に親近感を持っていました。 ただそれは漠然とした憧れだけで、その時はこういった仕事に付きたいとは思っていませんでした。
 競馬を知って観るようになったのが15歳の時。高校受験が控えていたのですが、受験そっちのけで競馬に嵌ってしまいましたね(苦笑) 当時は競馬ブーム真っ只中、ナリタブライアンが3冠を取った年でした。

 厩務員になったキッカケは、やはり学校の勉強が好きではなかったことに尽きるでしょう(苦笑)
元々競馬の世界に憧れは持っていたのですが、月日が経つごとにそれがドンドン大きくなっていき、終いには学校を中退して競馬の世界に飛び込んでしまいました。

 周囲の人間には当然のごとく反対されましたが、説得して何とか飛び込みました。
たまたま就職した先が道営の名門・堂山芳則厩舎というのも恵まれていました。

厩務員の仕事をやって良かったこと

 競馬の世界の華やかだけではない本当の部分を知ることが出来ました。そういうところが良かったと思います。 厩務員の仕事をすることによって、ますます競馬が好きになりましたからね。
 また外から見ているだけでは分かり辛い、馬自身の魅力も肌に実感することが出来ました。

 あと直接的な感覚で良かった・嬉しかったことといえば、やはり担当馬が勝つ喜びを知ることが出来た、と言うことでしょうか。 勝った瞬間の喜びといったら・・・ちょっと言葉では表現できませんね。 本当に気持ちの良いものです。

厩務員の仕事で大変だったこと

 よく言われるのが肉体労働ということと、朝が早いということですが、自分はあまり苦に思ったことは有りませんね。
身体を使うといっても工事現場の仕事や引越し屋さんと比べれば全然マシですし、朝早いのもその内慣れるものです(笑)

 あと、休みに関しては確かに少なくて厳しいかもしれませんが、ホッカイドウ競馬はシーズンオフが有るため、シーズンが閉幕した後にまとまった休みが取れます。 その分、他の競馬場に比べるとマシかも知れませんね。

思い出に残っている担当馬

 10年あまり厩務員をやっていましたので、それこそ100頭以上の馬を担当してきました。 どの馬も思い出に残っているのですが、その中で一般の競馬ファンに名前を覚えてもらっているであろう馬を挙げさせてもらうと、 ラヴァリーフリッグとモンパルナスの2頭になるでしょうか。

 ラヴァリーフリッグは手の掛からない馬でした。 育成時代は脚元に不安を抱えており、一時期は競走馬になれないかも・・・と言われていたそうですが、削蹄などで工夫をした結果、脚部不安を克服。 ウチの厩舎に入厩してきてからは一度も脚元に不安を出しませんでした。 性格はおとなしかったですね。デビュー前は牛かと思うぐらいノンビリとしていました(笑) こんなに大人しくて走るのかな?とデビュー前は半信半疑でしたが、いざレースに行くと強いこと強いこと。 新馬・オープンと連勝して、交流重賞のエーデルワイス賞(Jpn3)では2番人気に推されるほど走ってくれました。
 残念ながら道営在籍時は重賞タイトルを獲ることは出来ませんでしたが、南関東に移籍後は東京2歳優駿牝馬や浦和桜花賞、交流重賞のマリーンC(Jpn3)を制すなど重賞6勝を挙げる活躍を見せてくれました。 あの大人しい女の子がこんなに頑張ったということで驚きもしましたが、今は本当に良く頑張ったと褒めてあげたいと思います。

 モンパルナスも頑張ってくれた牝馬でした。 ラヴァリーフリッグは500キロ近く有る大きな馬でしたが、モンパルナスは入厩してきた時は380キロぐらいしかない小さな馬でした。 おっとりしていたラヴァリーフリッグと比べて、繊細なところがある女の子でしたので、慣れるまで大変だった記憶が有ります。 モンパルナスで印象深いと言えば、ナイター競馬が大嫌いだったことでしょうか(苦笑) とにかくナイターで走るのが怖かったらしく、ナイター競馬で2戦しているのですがまともに走ってくれませんでした。 乗っていたジョッキーが『落馬するかと思った』と洩らすぐらいでしたからね(笑)
 そこで照準を夏のJRA札幌開催に切り替えたわけですが、これが功を奏したのか大化けしてくれました。芝1200mの2歳500万下のレースを圧勝することになるんですが、その時2着馬に付けた9馬身の着差は、おそらく地方馬がJRAで記録した最大着差のはず。 ちょっとした自慢ですね(笑)
 その後、芝適性を見込まれてJRAに移籍。 転厩緒戦のエルフィンSでは後の三冠馬スティルインラブの2着に健闘し、桜花賞トライアルのフィリーズレヴューも2着。本番の桜花賞は5着のあと、オープン特別の葵ステークスを優勝するなど頑張ってくれました。
 お母さんにはなれずに天国へ旅立ってしまいましたが、いつまでも思い出の中で元気に走ってくれている1頭ですね。

ラヴァリーフリッグ (1999/05/12生まれ・栗毛・牝馬)
 父:マーベラスサンデー  母:ユウワプリティー (母父:Naevus )
 主な勝鞍:東京2歳優駿牝馬(2001年)、桜花賞、ひまわり賞、ローレル賞 、ロジータ記念(2002年)、マリーンC(2003年)など

モンパルナス (2000/05/10生まれ・鹿毛・牝馬)
 父:サンダーガルチ  母:エックスワイスキー (母父:トウショウボーイ )
 主な勝鞍:葵S(OP)(2003年), 淀屋橋S(1600万下)(2005年)など

競馬ライターになろうとしたきっかけ

 僕が厩務員として在籍していた当時から、ホッカイドウ競馬の存廃問題が騒がれていました。
その当時厩務員会の理事をしていたのですが、時折開かれる理事会の話題は存廃問題に関することが殆どで、内部の人間としても行く先にかなり不安を覚えていました。

 そんな時に当時の北海道競馬運営改善対策室(現・日高軽種馬振興推進協議会)の人間と知り合い、彼らがホッカイドウ競馬存続の為に色々と力を尽くしてくれていることを知り、何か一つでも役に立てたらと思い、ホームページでコラムを連載させていただくことになりました。

競馬ライターのやりがい

 競馬の魅力を文章で伝えることが出来ることでしょうか。 案外、厩務員目線で記事を書いているライターさんという方はいませんので、その分ファンの人たちに魅力を伝えようと頑張れている部分は有ります。
 あと、もともと自分自身がコアな競馬ファンでしたので、大好きな競馬の話題をファンの皆さんと共有できるというところに魅力を感じている部分もあります。

 今後も厩務員としての目線、競馬ファンとしての目線を使い分けながら、競馬界への提言や魅力的な話題を文章で残していけたらと思っていますので応援していただけたらと思います。

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