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地方競馬関係者インタビュー/ 大井競馬場・藤村厩舎 藤村 和生 調教師

地方競馬

大井競馬場・藤村厩舎/ 藤村 和生 調教師
(1966年生まれ)

 中学校を卒業後、騎手学校に入り、大井競馬場で騎手となる。騎手時代には、ジョージタイセイ号で東京ダービーなどを制した。2003年より調教師に。  


騎手を目指そうと思ったきっかけ

 母方の実家が立会川にあったことから、大井競馬場の厩務員さんたちが近くの食堂に来ているときなど話す機会があり、昔から競馬場を身近に感じていました。
 進路を決める段階になって、亡き父が騎手を目指していたことを知り、父が達成できなかった夢を達成することが親孝行に繋がると考え、騎手になろうと思いました。 また、結果がすべての勝負の世界で生きることは、夢があると感じました。
 そこで、中学3年から厩舎に住み込みながら学校に通い、学校が休みの日には、厩舎で寝藁をあげるなどして、仕事の大まかな段取りを覚えつつ、 騎手学校に入るための勉強をして、翌年騎手学校に無事合格しました。

騎手時代の思い出

 騎手時代の一番の思い出は、ジョージタイセイ号でダービーを勝った時のことです。ダービーを勝つということは、その凄さを実感したし、 今でも実感しています。
 他のレースを勝つのとは全く違った特別の想いがあり、言葉では言い表せない気持ちでした。

 ジョージタイセイ号(1992/03/25生まれ・芦毛・牡馬)
 父:ミルジョージ 母:ジョーキジルクム (母父:アローエクスプレス )
 主な勝鞍:藤村調教師が騎手時代に鞍上で、青雲賞(1994年)、京浜盃、黒潮盃、東京ダービー(1995年)などを制覇

騎手から調教師になった理由

 野球選手が、現役引退後に監督になり、相撲取りが親方なるような感じの自然な流れで、これまで、20年の騎手人生で培ってきた馬についての知識を 調教師になって生かしたいと思い、調教師になることを決めました。
 騎手から調教師となった現在、今度は調教師として、もう一度ダービーのタイトルを取りたいと思っています。

調教師という仕事の大変なところとやりがい

 調教師という仕事で大変だと思うことは、すべての負けの責任を負うことです。例えば、サッカーでもチームが負けると監督責任と言われるように、調教師にも監督責任があります。
 やりがいを感じるところは、競馬はレースという勝負の世界で、結果が目に見えてわかるところです。 たとえ、勝つための努力をしても結果に必ず結び付くとは限りませんが、そういった努力をして勝つということは、とても嬉しく感じます。

厩舎の指針

 まず、スタッフとのコミュニケーションを大事にしています。どんなに素質がある馬がいても、スタッフとのコミュニケーションが取れていないと、 小さなことも報告しなくなり、自己判断の積み重ねが、才能のある馬の芽を摘んでしまうことに繋がってしまうからです。
 また、新しいことを率先して取り入れていくように心がけています。例えば、馬主さんに対して、毎日の調教メニューや飼養の食べ方などを記載した、 管理表を毎月送付しています。その他、調教用ゼッケンが与えられていない馬名登録前の馬を調教する際、放馬してしまった場合に備えて、 自厩舎の馬だとわかるように、独自のゼッケンを作成し、そのゼッケンを付けて調教するようにしました。
 これからも、どんどん色々なことにチャレンジしていきたいと思っています。

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