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競馬小説 -地方競馬の空に- リクオウ編(第3回)


 目覚ましの音で目覚めると、栞は身支度をした。敬太が汚れてもいい恰好で来るよう言っていたので、3年前に買った、スキニーデニムに着古したピンクのTシャツを着ると、 敬太が用意してくれた長靴を履いて外に出た。
 「おー!ちゃんと起きれたんやな、栞ちゃん」敬太が感心したように言う。
 「リクオウが待ってるから!でも、2時起きは眠いね。」栞は大きなあくびをした。
 「慣れんうちは、きついやろね。そうそう、今日は寝藁(ねわら)の交換をやってもらおうかと思っとるんよ。」
 「うん!やるやる。どうやるの?」

 敬太は、リクオウの馬房の前で立ち止まると、リクオウに頭絡(とうらく)を付け、手綱を両側のハミにかけて、馬栓棒を外すと、二本の手綱を持って洗い場に向かってリクオウを引き、 洗い場の左右にある環(かん)にそれぞれの手綱を結び、馬を張った。
 リクオウが出て行った馬房には、潰れた藁といくつかの馬糞の塊があった。藁は、ところどころが尿で濡れていた。

 敬太はリクオウの馬房に入ると、「まずは、ボロ・・・あ、ボロっちゅーのは、馬糞のことなんやが、カギでボロの下の藁をこうやって持ち上げて、 その反動でボロミにボロを入れてな」と言って、大きな塵取りのような形状の“ボロミ”とカギ状に曲がったステンレス系の金属に取っ手がついた“カギ”という道具で、 ボロの下の藁をカギで持ち上げると、ボロをボロミの方に傾けて入れた。

 「こうやって、先にボロを取ってな。それから、おしっこで汚れた藁をカギ2本使って持ち上げて外に出すんや。それから、汚れてない寝藁は、 脇に避けておいて馬房を掃除した後に、ほぐしながら戻してな。足りない分は新しい藁を足すんや。最後に、汚れた藁を外に出して、広げて干すんや。」説明しながら、 敬太は、一つ一つの作業を簡単にやって見せた。

 「わかった!まずはやってみる!」栞は、敬太からボロミとカギを受け取るとリクオウの馬房に入った。
 馬房の中は、蒸し暑く、リクオウの糞尿と藁とが混ざった匂いが立ち込めていた。
 栞は、馬房の奥の方にあったボロの塊を見つけると、先ほど敬太に教えられたように、カギでボロの下の藁を持ち上げて、ボロをボロミに傾けた。 ゴロゴロとボロがボロミに入っていった。
 「楽しい!」栞は振り返ると、馬房の外で見守っていた敬太に向かって言った。
 「そうかい!楽しいんかい。それはよかった。あ、ボロミにボロが溜まったら、外に手押し車があるからそれに入れてな。後でまとめてボロ場に捨てに行くから。」 敬太は、洗い場の隣に手押し車を指さしながら言った。

 「わかった!」と言うと、栞は再びボロを取り始めた。ボロを入れる度にボロミに重さが加わり、すべて取り終えた頃には、片手でボロミが持てないほどだった。
 カギを馬房の隅に置くと、両手でボロミを持ち、手押し車の方へ向かった。手押し車の中は、既に他の馬たちのボロでいっぱいになっていたので、 栞は隅に入れられそうなスペースを探すと、手押し車からボロが零れないように、ゆっくりとボロを入れた。

 再び馬房に戻る途中、リクオウがいる洗い場を見ると、厩務員がリクオウの検温をしているところだった。
 栞は近づくと「おはようございます。私、須藤敬太の姪で、長野栞と言います。夏休みの間厩舎に住まわせてもらっているんです。よろしくお願いします。」と挨拶をした。
 厩務員は栞の方を向くと、「おはよう。栞ちゃんのことはテキから聞いとるよ。リクオウのお世話してくれるんやってね。俺は、佃俊彦。 普段リクオウを担当しているんよ。よろしくな。」と言った。
 佃は、いかにも肉体労働者といった感じのがっしりとした身体にパンチパーマで、外見はいささか怖そうにも見えたが、物腰は柔らかく、人が良さそうな印象を栞は抱いた。

 「佃さん、検温って毎日するんですか?」栞は尋ねた。
 「そうやで。毎日調教前に体調チェックっちゅー意味で、検温して、それから脚や身体に悪いとこないか調べてから調教するんや。 特に、サラブレッドはガラスの脚って言われるくらい、脚は故障しやすいから一番気を付けて見ておかんと。」佃は、真剣な目つきで話し始めた。
 その目つきから、仕事に対して真面目で妥協を許さない彼の性格が感じ取れた。

 「へー・・・そうなんですか・・・」栞は感心したように頷いた。
 「餌にしろ、調教にしろ、毎日馬の様子見て変えんとあかんし、これでええっちゅーのはないんや。妥協してたら、馬の能力引きだしてやることもできんようなるしな。」
 「馬を扱うのも難しいんですね・・・」
 「そうなんよ。馬によっても性格違うから、それぞれの馬にあった対応せんとあかんし。こいつらペットと違って可愛いだけや生きてられんから。 走らん馬は殺されてしまう馬もたくさんおる。そうならんようにするには、怪我させんようにしながら、馬の能力を最大限に引き出してやることが俺にできるすべてや。」 語る佃の言葉からは馬への愛が感じられた。

 「走れないと殺されてしまうんですか・・・可哀想に・・・」栞は、想像もしていなかった競争馬の行く末に悲しそうに言った。
 それを察したのか、佃は穏やかな表情で「そやけど、男馬やったら成績好かったり、血統良ければ、種牡馬ってお父さんになる道もあるし、 女馬やったら、繁殖牝馬になる道もあるし、それ以外でも乗馬になったりもできるし、皆殺されるわけやないんで。」と加えた。
 「リクオウは種牡馬になれるかな?」栞は、不安と安堵が入り混じった表情を浮かべ、佃に尋ねた。
 「リクオウの成績やったら、種牡馬は厳しいんやないかなぁ・・・でも、性格いい仔やし、乗馬に行くんやないかな?あ!栞ちゃん、寝藁交換の途中やろ! 長々話してもうてごめんな。」佃は、思い出したように言った。

 「そうでした。ついつい、佃さんのお話興味深くて・・・忙しいところすみませんでした。」栞は、佃に一礼すると、リクオウの馬房に戻り、 尿で汚れた藁を外へと出し始めた。水分を含んだ寝藁をカギで持ち上げると重く、ツーンとしたアンモニアの匂いが鼻を突いた。
 汚れた寝藁を出し終わると、敬太が言ったように、その他の寝藁を一端外に出し、馬房を箒で掃くと、寝藁を解しながら入れて、足りない寝藁を補充し、 最後に、外に出した汚れた寝藁を広げて干した。
 寝藁作業をしている時は集中していて気付かなかったが、終わって一息つき、空を見上げると日が昇りかけていた。 栞は、首にかけていたタオルで額から大量に流れた汗を拭くと、敬太を探した。

 洗い場を通ると既にリクオウや他の馬たちは調教へ向かったのか、いなくなっていた。厩舎の周りを馬装した馬たちが厩務員に引かれて歩いている。
 厩舎の裏側に回ると敬太が携帯電話で馬の飼料を業者に発注しているところだった。電話を切るのを待って、栞は敬太に寝藁の交換が終わったことを伝えた。
 「終わったんかい。お疲れ様。疲れたやろ?」敬太は栞を労って言った。
 「やってる時は楽しかったけど、終わったら結構疲れたかも。腰痛いし。でも、きれいになった寝藁見たら、この上でリクオウがくつろいでくれたらなと思ったら嬉しくなったよ!」 栞は、再び額から流れ出る汗を拭きながら、言った。
 「リクオウもきっと喜ぶよ。あ、そうや。調教見に行くかい?」
 「見たい!」栞は興奮気味に答えた。
 「じゃ、行こうか。」

 敬太と、栞は並んで馬場に向かって歩き出した。
 途中、厩務員に引かれたたくさんの馬とすれ違った。道には、その馬たちが落としていった、ボロがいくつも落ちていた。 調教について騎手や調教厩務員に指示を出す調教師、馬の脚のレントゲンを撮る獣医、蹄鉄を打ち変えている装蹄師、 普段見慣れない光景に栞はキョロキョロと辺りを見回しながら歩いた。

 馬場に着くと、既に何十頭かの馬が馬場を走っていた。
 ゆっくりとコースを周回している馬や、全力で走っている馬、コースの中にある丸い円を歩いている馬など色々な調教が行われていて、 いずれの馬も、番号が書かれたゼッケンをつけていた。
 競馬場のスタンドとちょうど逆側にある、調教師用の部屋に入ってガラス張りの壁の前に置かれた椅子に腰を下ろすと、 敬太は「15番がうちの馬のゼッケン番号やで。厩舎ごとに番号があって、その厩舎ゼッケンをつけて調教するんや。 あ、ちょうどリクオウが馬場に入ってきたとこや。鞍上は優一やで。」と言った。

 栞は敬太が見た方を見ると、そこにリクオウと優一の姿があった。
 鞍上している優一の指示で、ゆっくりとリクオウが走り始める。栗色の馬体にゴールドの鬣のリクオウは、朝日に照らされてキラキラと輝いて見えた。
 白肌の細身な腕で柔らかく、しなやかな手綱捌きで、リクオウを操る優一の姿も、リクオウに負けず劣らず美しかった。

 「優一さんかっこいい・・・」思わず、栞は呟いた。
 その声に敬太は笑いながら、「あいつは、女には人気あるやろうな。美青年やし、馬乗りもうまいからなぁ。だけど、遊び人や。昨日から言うてるように、 俺は将太がいいと思うで。」と言った。
 「だから、将太さんはないってば!」栞はすかさず答える。
 「将太も騎乗うまいんやで。優一と乗り方は全然違うけどな。ほら、あの3番のゼッケン付けとる馬に乗ってるのが、将太や。」敬太が指を指す。

 栞は、露骨に嫌そうな表情を作って、敬太が指を指した方向を見ると、黒鹿毛色の馬に乗った、将太の姿があった。
 ちょうど、キャンターから追い切りをかけるところで、手綱をしっかりと握りしめ馬をぐいぐいと追うと、馬もそれに反応して、 どんどんスピードを加速させていく。全身で力強く馬を追う姿は、優一とは全く違ったが、男らしく逞しく感じられた。

 あれが、将太さん?

 昨日話した将太とはあまりに違う印象に、栞はガラス越しに目を凝らし、将太の顔を見た。
 切れ長で澄んだ目が真剣に前を見つめていた。
 思わず、吸い込まれそうになるような目・・・

 「すごいやろ?あいつ。」敬太の声で、栞は我に返った。
 「う・・・うん。私が知っている将太さんとは別人みたい!」
 「そうやろ。惚れたか?」敬太は冷やかして言う。
 「それはない!」栞は顔を赤らめながら言った。


 調教を見終えて厩舎に戻ると敬太が「あ、今日は初日やし、後は厩舎の作業せんでいいから、後は好きに過ごしてや。」と言ったので、栞は少し昼寝をして、受験勉強をして過ごすことにした。

 部屋に戻る前に、リクオウの馬房を覗くと栞が交換した藁の上で気持ち良さそうに体を横にしてくつろいでいた。

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