地方競馬場所属の名馬たち- イナリワン号
イナリワンは、1986年に大井競馬場でデビューし、東京王冠賞と東京大賞典の重賞を含め、地方競馬14戦9勝を挙げて1989年に中央競馬に移籍した。
移籍後、天皇賞(春)、宝塚記念、有馬記念で勝利を収め、同年JRA賞年度代表馬及び最優秀5歳以上牡馬に選出された。
誕生
イナリワンは、1984年北海道門別町の山本牧場で生まれ、千葉県の和光育成牧場で調教された後、1986年6月に大井競馬場の福永二三雄厩舎に入厩した。
幼駒の頃のイナリワンは、小柄な馬でだったが、身体のバネが強い馬だった。
競走馬時代
1986年12月9日、イナリワンは大井競馬場の3歳新馬戦でデビュー。2着に4馬身差を付けて初戦勝利を挙げた。 しかし、2戦目となるはずだった翌年の正月開催当日、ゲートに頭を強打、前頭骨打撲したため出走を取り消し、そのまま休養に入ることとなった。
5月に復帰すると、緒戦の条件戦を2馬身差で勝利、以後東京王冠賞と東京湾カップの重賞を含む8連勝という成績を残した。
翌年、緒戦の金盃は苦手の重馬場が仇となり3着に敗れ、続く帝王賞も当日の降雨で重馬場となり、7着と大敗した。 その後休養を挟み、8月に関東盃で復帰したが、またも重馬場で5着に敗れた。再び休養に入り、復帰後は東京記念3着、全日本サラブレッドカップ2着と復活の兆しを見せた。
そして、良馬場で迎えた同年の東京大賞典では、2着のアラナスモンタを半馬身抑えて勝利を収め、このレースを最後に中央へ移籍することとなり、翌年1月、美浦トレーニングセンターの鈴木清厩舎に入厩した。
中央移籍後、緒戦となったすばるステークスは4着、続く阪神大賞典は進路を塞がれる不利もあり、5着に終わった。
しかし、移籍した時から目標としていた天皇賞(春)に鞍上を武豊騎手に変更して出走、最後の直線で後続馬を突き放すと、5馬身の差をつけて圧勝した。 走破タイムは3分18秒8というコースレコードだった。
続く宝塚記念でも、勝利を収め、GI競走2勝という成績で春のシーズンを終えた。
休養を挟んで臨んだ、毎日王冠ではオグリキャップのハナ差の2着に敗退、次走の天皇賞(秋)は6着、ジャパンカップは11着と負けが続いたが、 年末の有馬記念では、スーパークリークをゴール寸前で交わし、コースレコードとなる2分31秒7で優勝し、当年の年度代表馬に選出された。
翌年、阪神大賞典に出走し4着、天皇賞(春)ではスーパークリークの2着、宝塚記念では4着に敗れた。その後、休養中に脚部不安が生じたため、引退することとなった。
引退
引退後、種牡馬として日高軽種馬農協門別種馬場に繋養された。初年度産駒となったツキフクオーが、東京王冠賞を勝った他、イナリコンコルドが大井記念、 東京記念などを勝利するなど活躍馬も輩出した。
2004年を最後に種牡馬から引退、門別町のポニーファームで過ごした後、2009年3月より北広島のワンダーファームで余生を送っている。
血統
親 |
二代 |
三代 |
四代 |
父
ミルジョージ
Mill George
1975 鹿毛
|
Mill Reef
1968 鹿毛 |
Never Bend |
Nasrullah |
Lalun |
Milan Mill |
Princequillo |
Virginia Water |
Miss Charisma
1967 鹿毛 |
Ragusa |
Ribot |
Fantan |
マタティナ
Matatina |
Grey Sovereign |
Zanzara |
母
テイトヤシマ
1970 鹿毛
|
ラークスパー
Larkspur
1959 栗毛 |
Never Say Die |
Nasrullah |
Singing Grass |
Skylarking |
Precipitation |
Woodlark |
ヤシマジェット
1960 鹿毛 |
ソロナウェー
Solonaway |
Solferino |
Anyway |
ヤシマニシキ |
セフト |
神正 F-No.5-h |