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競馬小説 -地方競馬の空に- リクオウ編(第6回)


 開門して間もない時間からスタンドには、ちらほらと人が入り始めていた。
 「今日のメインは絶対に自信あるんよ!シリウスで決まりだっぺ。今朝孫に焼肉食べたいってせがまれちまってよ、 でかいとこ当てて孫の笑顔みたいんや。」老人がスタンドに腰をかけて、新聞を広げ、シリウスの馬柱に赤ペンで二重丸をつけながら、 隣でビールを飲みながら新聞を眺めている友人に言う。
 「メインのシリウスはわしも買うで。そやけど、相手が決まらんのや。前走人気で大敗したメロウも調教動いとるし、 ヒカリビューもこの距離やったら、いけそうな気ぃするし、アサタオウも穴を開けそうな気ぃするしなぁ・・・」 話を振られた友人は新聞に目をやったまま、ビールを一口飲んで言った。

 パドックでは、すでに1レースに出走する馬たちが出てきており、観客たちが馬体について話し合っている声があちこちから聞こえた。
 「2番は毛づやもいいし、トモの踏み込みがいいやん。おっ、9番もいいんやないか?」
 「いや、9番はちと細くないか?ほら、見てみ。馬体重10キロも減っとるやないか。夏負けしとんやろ。買うのは、危険や。」
 「うわ!ほんとや。10キロも減っとったらあかんな。」

 大人たちの討議の声に混じって、子どもの声もする。
 「茶色いお馬しゃんかわいい!」父親に抱っこされている子どもが栗毛の馬を指さした。
 「そうだね、小さくて可愛いねぇ。」父親は息子を優しい目で見た。


 栞は開門と同時に競馬場に入り、パドックの淵に腰を降ろして馬を眺めていた。リクオウは準メインの9レース、 シリウスはメインの10レースに出走すると昨日の夜、敬太が教えてくれたが、初めて見る競馬がどのようなものか楽しみで1レースから見ることに決めたのだ。
 午前中だったが、既に日差しがジリジリと照りつけて、パドックのコンクリートには熱がこもっていた。
 馬も暑いのか、身体からはポタポタと汗が流れ、ゼッケンのあたりは、汗が擦れて白い泡状になっていた。
 「みんな頑張れ・・・」栞は心の中で1レースに出走する馬たちに向かって言った。

 「お嬢ちゃん一人?まだ未成年やろ?」ふいに声を掛けられて栞が振り向くと、ビビッドピンクのキャミソールに、 黒いホットパンツを履いた20代前半くらいの女が、金色に近いストレートの長い髪を掻きあげながら言った。
 「はい。18歳です。今日は、知ってる馬の応援に来ました。お姉さんは?」
 「うちは、藤井優一騎手のファンなんや。優一が乗っとる時は全部来とるよ。お嬢ちゃん好きな騎手おるん?」
 「うーん・・・トレセンでは騎手見てますが、好きな騎手はまだ・・・今日競馬見るのも初めてなんです。あ、でも優一さん調教つけてる時の姿は素敵だと思います!」栞は、 以前将太が「優一は人気がある」と言っていたのを思い出していた。
 「お嬢ちゃん厩舎関係者の子なん?そいなら、優一紹介してや!」女は大きな目を輝かせて栞を見た。
 「叔父が調教師で、夏休みの間厩舎に住んでるんです。」

 「栞ちゃんって言うんかぁ。私は渡辺美鈴、居酒屋で働いてるんよ。」馬場に向かいながら美鈴は言った。
 「そうなんですね。美鈴さん競馬は昔からしてるんですか?」栞は、尋ねた。
 「親父が競馬好きで、物心ついた頃から休みの日っちゃぁ、競馬場に連れて来られとったわ。そのうち、自ら来るようになっとったね。 優一がデビューした3年前からは、優一が出るときは、全部来とるわ。」美鈴はケラケラと笑いながら言った。  

 「ほら、さっきパドックで歩いてた馬たち、馬場に出てきてゆっくり走っとるやろ?あれ、返し馬言うんやけど、ウォーミングアップみたいなもんなんよ。」美鈴は、栞に説明した。
 「そうなんですね!そういえば、美鈴さん何がきっかけで優一さんのファンになったんですか?」
 「まぁイケメンってのもあるんやけど、優一がデビューして3鞍目のレースで優一が乗ってた馬が故障したんよ。ちょうど雨が降っとって馬場が悪い時でな。 優一も思いっきり落馬して足の骨折れとったんに、すぐに起き上がって歩けんから這いながら馬のほう寄っていってな・・・ 馬は脚がボッキリ折れてて起き上がろうにも起き上がれんくなっとって。優一、馬に寄り添って泣いとった。復帰戦の時、 パドックで乗った馬の鬣を物憂げに撫でとってなぁ、優一の馬への優しさが好きになって、それからずっとファンや。」美鈴は馬場のずっと先を見つめて答えた。

 ファンファーレがなり、会場がどよめく。
 「いよいよや!合田出遅れるなよ!」
 「田中―!しっかり乗れよ!!」
 栞と美鈴は、ゴール版付近に立ってスタートゲートを見ていた。
 「うちは、合田騎手が乗っとる5番の馬を単勝で買ったから、栞ちゃんも応援しとってな!」美鈴が興奮気味に言う。
 「わかりました!5番ですね!」  

 「スタートしました!各馬ほぼ揃ってゲートを出ました!」スタンドから実況アナウンサーの声が聞こえる。
 「まずハナにたったのは、5番のオウノサクセス。続いて、1番ショウカイシ。あとは3馬身ほど離れて、リキサクラ、バイカル、マシカなどがいます。」
 「おっし!そのまま逃げ切れ!」美鈴は大きな声で叫んだ。
 馬が1周走り、最後のコーナーに向かうと観客たちの興奮した声はスタンド内にこだました。
 「田中、差せー!!」
 「合田粘れー!!!そのままー!!!」
 混じって、美鈴も叫ぶ。「合田さん!!頼むー!!!!」
 スタートでハナをきってから、ずっと先頭にいた5番オウノサクセスに続々と後続馬が接近してくる。
 芦毛の馬が外から一気に追い込み、オウノサクセスを交わした先がゴールだった。

 「うわぁ!差したらダメやん!!!」美鈴は肩を落として、持っていた馬券を握りしめた。
 「惜しかったですね・・・でも、すごく興奮しました。レース楽しいですね。」栞は美鈴を見て言った。
 「そうや!レース楽しいんよ。当たればもっと楽しいんやけどなぁ・・・」よほど外したことが悔しかったのか、美鈴は溜息をついた。

 8レースが終わり、パドックにリクオウが現れた。
 いつもと変わらぬ、綺麗な栗色の馬体を光らせ、佃に引かれパドックを周回し始める。「3」のゼッケンを着けていた。
 「あれやろ?栞ちゃん面倒みとる仔。相変わらず綺麗な馬体やなぁ。」美鈴は、リクオウを見て言った。
 「美鈴さんリクオウのこと知ってるんですか?」栞は驚いて尋ねる。
 「当たり前やろ。優一が主戦なんやから。それに、栗毛にしたってあんな綺麗な毛色の仔、そうそうおらんもん。」美鈴は、釣り目がちな目を細めて、自慢気に言った。
 「今日なんとか勝ってくれないかなぁ・・・」栞は祈るように手を組んだ。
 「今日勝ったらオープンやもんな。それにしても、栞ちゃん競馬場似合わないなぁ。そんな清純そうな子どこにもおらんよ。」美鈴は栞の緊張をほぐすように笑い飛ばすと、 栞の肩をポンと叩いた。
 「とまーれー!!」という係員の合図で馬たちが止まり、騎手たちは一礼をすると、それぞれが騎乗する馬のところに走った。優一もリクオウの前まで走ると、 佃に足を上げてもらい、リクオウに騎乗した。
 誘導馬が歩き始めると、レースに出走する馬たちもそれに続き、ゆっくりと歩き始めた。
 「優一さん頑張ってー!」栞は、馬場に続く道へ向かう優一に向かって言った。
 「優一勝てよー!!」美鈴も大声で叫んだ。
 優一の反応はなかったが、なんとなく頷いているように感じた。

 ファンファーレが場内に鳴り響いた。
 「高知9レース、土佐特別、サラ系B1クラスの競争、距離1400mで行われます。」とアナウンスが流れた。
 美鈴は、リクオウの単勝馬券3000円分を両手で持ち「頼むでー優一」と願をかけた。
 栞は固唾を飲んで、ゲートを見守る。全頭ゲートに収まり、そしてゲートが開いた。一斉に並んでスタートする。
 「ハナに立ったのは、2番マルネオン!続いて、9番ショウクン、7番ナジョール。半馬身ほど後ろに3番リクオウ。」実況アナウンサーのアナウンスが場内に響き渡る。
 「よっし!いい位置や!」1周目通過していく馬たちに、美鈴が興奮して叫ぶ。 栞は、ずっとリクオウを見つめていた。

 優一鞍上のリクオウは4.5番手につけたまま、3コーナーを回るとそのまま4コーナーに向いた。先頭までは、5馬身ほど。最後の直線に入ると、 優一は、ぐいぐいと勢いをつけ、リクオウを追った。リクオウもそれにつれて、加速する。鞭の音がスタンドにいた栞のほうまではっきりと聞こえた。 リクオウは、先団にいた、ナジョール、ショウクンを交わすと、先頭のマイネオンを捕らえにかかった。ゴールまでは残り100mほどで、マイネオンの半馬身まで迫る。 しかし、マイネオンも必至に粘ろうとする。2頭の追い比べとなった。2頭が並んだところがゴールだった。

 「どっちや?!」美鈴が大きく目を開けて栞に向いた。
 「わ、わかんない・・・同時にゴールしたように見えました。」
 正面のビジョンにはすぐに、3着9番、4着10番、5着7番と表示されたが、1着、2着は写真判定を意味する“写真”という文字が表示された。 判定が出るまでの時間はとても長く感じられた。
 栞も美鈴も無言でビジョンを見ていた。

 3、5と1着、2着のところに番号が表示された。
 「うわぁ!!リクオウ勝ったやんけ!」美鈴が叫んだ。
 「勝った!リクオウ勝った!!」
 二人は抱き合って喜んだ。

 レース後、敬太からリクオウの祝勝会をすると連絡があり、敬太、佃、優一、将太で集まっていたところに、栞は美鈴を紹介した。
 「いやぁ、一日でリクオウもシリウスも勝たすなんて、俺は天才ジョッキーやなぁ。なんてな!馬が頑張ったからと、可愛い子二人が応援してくれたからや! 美鈴ちゃん俺のファンならファンと言うてくれや。」優一はビールを一気に飲み干すと笑いながら言った。
 「言う機会ないですやん。でも、デビューしてからずっとファンやったから、優一と飲めるなんて、本当夢みたいやわ。」美鈴はカシスオレンジを手に取ると、照れながら言う。
 「リクオウ勝った時は本当に感動しました。競馬って素敵ですね。」栞は出し巻き卵を端で割りつつ言った。
 「そやろ!競馬は最高や。勝った時の喜びが大きいから、馬の仕事辞められん。」佃が日本酒を手酌しながら言う。将太と優一も頷いた。

 祝勝会は遅くまで続き、店を出た時には、午前0時を回っていた。辺りには、蝉の音が鳴り響いていた。



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