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競馬小説 -地方競馬の空に- リクオウ編(第2回)


 「お父さんとお母さんの離婚は悲しいと思うけど、前向きに考えてな。せっかくの夏休みなんだし、こっちいる間は、楽しんでってくれや。」ハンドルを握りながら、敬太が言った。
 「はい。お父さんとお母さんのことは悲しいのは確かだけど、仕方ないと思ってるから大丈夫です!」栞は明るく答える。
 「栞ちゃん、敬語は禁止や。馬にも敬語は通じんぞ。」敬太が笑いながら言う。
 「うん!馬かぁ・・・馬に会えるの楽しみだよー!ねぇねぇ、敬太おじちゃん、馬ってどんな生活してるの?」栞は興奮気味に尋ねた。
 「競馬に使う馬はなぁ、朝3時から準備、それから調教してなぁ、調教終わったら手入れして朝ご飯食わすやろ、その後昼に運動、15時過ぎに昼ご飯、 19時くらいに夕ご飯食べるんや。まぁ、厩舎に住んで毎日見れば、すぐに流れもわかるようになんよ。」
 「え!?朝3時から!?私、そんな時間に起きたことない!そしたら、メイクしたり、髪セットしたりする時間入れたら2時には起きなきゃぁ・・・」
 「馬の手入れするんに、きっちり化粧しても髪結ってもすぐぐちゃぐちゃになんよ。」敬太が笑う。
 「無理!ノーメイクで外出れなーい。」
 「大丈夫大丈夫!栞ちゃんは美恵子の若い頃に似て可愛いから、化粧なんてせんでも。」

 栞は、親戚にはよく美恵子の若い頃に似ていると言われていた。栞自身はそうは思わなかったが、色白の肌、黒目がちな大きな目が美恵子そっくりなのだという。
 「可愛くないし、無理だわ・・・2時に起きる。あ!そうそう!!」栞は思い出したように言った。
 「高知に向かう電車でね、綺麗な恰好したおばあさんに会ったの!その人、敬太おじちゃんのところに馬預けてるって!リクオウって馬だって!」
 「おー!佐久間さんの奥さんに会ったんかい。偶然やね!それなら、栞ちゃんにはリクオウを担当してもらおうかな。」
 「うん!やったー!おばあさんもリクオウを可愛がってあげてねって言ってたから、リクオウ担当するの嬉しい!」

 高知空港から40分ほど走ったところに厩舎はあった。
 栞が車を降りると、馬と牧草の混ざったような匂いがした。なんとなく、優しく落ち着くような匂い。 栞は思わず「いい匂い!」と言った。
 敬太は、栞のトランクを車から降ろしながら、驚いた顔で「臭くないんかい?」と栞の顔を見た。
 「全然臭くないよ!私、この匂い好き!」栞はすかさず答える。
 「そうかい!栞ちゃんは変わった娘だね!」敬太は笑った。
 「じゃあ、行こうか。」敬太に続き、栞も歩き始める。

 いくつも並ぶ長い建物―厩舎。厩舎にいくつも取り付けられている小窓からは、馬が顔を出してこちらを見ていた。どこの厩舎にも、 対面するように洗い場が設置されており、厩舎の前には藁が広げて干されていた。
 敬太は一棟の厩舎に入ると「ここがうちの厩舎だよ。まずは、部屋に案内すんね。」と言って、厩舎の左端にある扉を開け、2階へと続く階段を上がった。 栞も続いて階段を上がると、そこには2つの扉があり、片方はお風呂とトイレ、もう片方には台所と居間に通じていた。
 新しくはなかったが、居間にはベッド、机、タンスもあり、エアコンも備え付けられていて生活するには不自由なさそうだ。

 「気遣わんで、好きに使ってな。荷物片づけたら、リクオウが待ってるから、下に降りてきぃや。」と言って、敬太は部屋を出て階段を下りて行った。
 栞は、トランクを開けると持ってきた衣類をタンスに入れ、パソコンを机の上に出すと急いで、階段を下り、ミュールを履くと外に出た。
 「片づけ終わったんかい?この仔がリクオウやで。」 敬太が指す馬房を見ると、一頭の栗毛の馬が円らな瞳でこちらを見ていた。

 「この仔がリクオウかぁ・・・可愛い!触ってみていい?」
 「ええよ。噛まれないように気を付けてな。あ、今人参持ってくんよ。」敬太は、厩舎の脇に備え付けられている冷蔵庫を開けると人参を取り出し、 半分に割って片方を栞に手渡した。
 「馬に人参をやる時は、手に持ったら手を噛まれるからあかんで。手のひらに人参を乗せてやるんやで。」言いながら、 敬太は手に持っていた人参を手のひらに乗せてリクオウの口元に近づけた。
 リクオウは、その人参をすぐに口の中に入れるとボリボリという音を立てて食べ始めた。時折、口から人参の破片がこぼれ落ちる。 しばらく噛んで食べ終わると、食べたりないというような表情で栞と敬太を交互に見た。
 「まだ、食べたいのね!リクオウ!」栞は、先ほど敬太がやったように手のひらに人参を乗せるとリクオウの口元に近づけた。
 リクオウは口で人参を受け取る。リクオウの口に生えている堅い髭と厚い皮膚で覆われた口元の感触が栞の手のひらに伝わった。  

 「リクオウは本当可愛い仔ね!」再び人参を噛みしめているリクオウの鼻づらを撫でながら、栞は言った。
 「この仔は、普段から大人しくていい仔やし、本当可愛いんよ。明日から、リクオウのお世話頼むな。」
 「もちろん!責任を持ってお世話させていただきますっ」栞は敬太を見て言った。
 「あ、そうだ栞ちゃん。ちょっと、これから馬主の柴田さんのとこ行かんきゃないから、馬見るんでも、部屋にいるんでもいいけど、 時間潰しててくれんかな?夕方までには戻る。」敬太は、首にかけていたタオルで汗を拭くと駐車場に向かって歩き始めた。

 「気を付けてね!」と言って敬太を見送ると、栞は再びリクオウに近づいた。
 綺麗な栗毛色の馬体。ゴールドに近いサラサラの鬣。愛くるしい大きく円らな瞳。鼻の一部だけが、流星のように白くなっているのも、 脚4本の下の部分がソックスを履いたように白くなっているのもまた一層可愛らしかった。
 「今日からよろしくね」栞は、リクオウの鼻先を撫でながら言った。鼻先はプニプニとして柔らかかった。

 リクオウをしばらく観察した後、厩舎の馬たちを一通り見ると、栞は厩舎の外に出て、周りを歩き始めた。最初に厩舎に来たときは、ほとんど人はいなかったが、 ちらほら人が出てきて、地面に広げて干してある藁をスティッキのようなもので返したり、馬を引いて運動させたりしている。時計は午後13時を指していた。

 栞は見慣れない光景に胸を躍らせながら歩いた。

 「おい!お前厩舎のもんやないやろ?どっからきたん?」敬太の厩舎から3戸奥にある厩舎を通りかかっていたところで、栞は誰かに突然呼び止められた。
 振り向くと黒のタンクトップにジーンズを履いた20代前半くらいの青年が、頭絡を持って立っていた。
 浅黒く日焼けした肌に、すらっと細い身体に筋肉質な腕。 切れ長の目にすっと通った鼻筋。額には薄ら汗が滲んでいた。

 「ここで調教師してる須藤敬太の姪で、夏休みの間厩舎の上に住んでいるんです。東京から今日来ました。」
 「テキの姪かぁ」
 「敵?」栞は首をかしげた。
 「おまえ、バカか。テキって調教師のことやろ。」明らかに馬鹿にした目つきで青年は栞を見た。
 「だって、厩舎来たの初めてだもん・・・厩舎の専門用語わかんないしっ!そんなバカとか言わなくてもいいじゃないですか。」栞も言い返す。
 「アホ」
 「ちょー失礼な人っ!そっちがアホでしょ!」と栞が応戦しかけたところで、厩舎と反対側にある馬場のほうから、こちらに向かって人が歩いてきて、栞と青年の前で立ち止まった。

 こちらも20代前半だろうか。白い肌にさらさらの長めの髪が特徴的だ。
 「将太、女を口説いてるんか?」にやにや笑いながら、白肌の青年は言った。
 「あ、優一・・・こんなブスに興味あるわけないやん。」将太と呼ばれた青年はぶっきらぼうに言った。
 「お人形さんみたいな顔で可愛いやん。この娘ブスいうたら、世の中の女、ほとんどドブスや。お姉ちゃん名前なんていうん?」優一と呼ばれた青年は、栞を見て言った。
 「栞です。長野栞。」
 「栞ちゃんかぁ。可愛い名前やね。俺は藤井優一、23歳。ここで騎手をしてるんよ。そいで、この失礼な男は、中村将太。新人調教師、戸村厩舎の厩務員。 ガキっぽいけど俺とタメ。栞ちゃん何歳なん?」優一は、将太の肩を叩きながら言った。
 「18歳です。今高校3年。」栞は、わざと優一だけを見て言った。
 「うわぁ、ピチピチ女子高生やん!」優一は大げさに喜んだ。

 「おーい!将太も優一も女の子にばっかりまとわりついてないで仕事しろー!!」遠くから二人を呼ぶ声がする。
 「やべっ!戸村のテキだ。」優一は小声でいうと、栞を向き直り、「またね、栞ちゃん」と言って、声がするほうに歩き始めた。
 将太は栞を一瞥すると「じゃあな、ブス」と意地悪そうに笑って、優一に並び歩いた。

 「自分だってかっこよくないくせに!」栞は将太を睨みつけて言うと、二人が戻っていた戸村厩舎とは反対方向に歩き始めた。馬場に行って見たかったからだ。
 真夏の昼下がりジリジリと太陽がスタンドのコンクリートを照らし、厩舎地区以上に暑く感じられた。
 栞は、屋根で太陽が遮られる場所までスタンドの階段を上がると、ベンチに腰を下ろした。
 馬場・・・広いなぁ。ここで、馬たちは調教されて、レースを走るのかぁ・・・。
 リクオウもここで走るんだよね・・・。栗毛の綺麗な馬体が、ゴールドの鬣を靡かせてコースを駆ける姿を想像した。



 「そうなんか!将太と優一にあったんか!」ビールを飲みながら、敬太が言った。厩舎から徒歩10分ほどのところにある敬太の自宅で、妻の美樹が作った夕飯を食べていた。
 「栞ちゃん可愛いから、厩舎の周り歩いてたらみんなに声掛けられるでしょう。」敬太の妻、美樹が夕飯のとんかつを口に運びながら言う。
 「そんなことないよ、将太さんにはブスとかアホとか言われたし。」栞は、昼の将太の無礼な発言を思い出して頬を膨らませて言った。
 「将太は照れ屋だからな。栞ちゃんが可愛すぎて、そんな態度になっちまったんだべ。でも、あいつは性格いいし、仕事もようやるんやで!彼氏にするなら、 ああいう男選ぶんよ。」敬太は、一気にグラスのビールを飲み干すと瓶から継ぎ足しながら言う。
 「絶対、あんな男好きにならない!」栞は味噌汁を啜りながら苦笑いをした。
 「私も最初、この人に出会ったときはそう思ってたわ。」美樹は敬太を指すと栞の方を見て笑った。
 「ほんまかよ!?」敬太が美樹を見る。
 その間の抜けた声に皆で笑った。


 楽しい夕食の時間が過ぎていき、栞はお礼を言うと、厩舎に向かって歩き出した。夜の厩舎地区はシーンとして、蝉の鳴き声だけが鳴り響いていた。
 日中よりは気温は下がっていたが、蒸した空気があたりに立ち込めていた。

 栞は、厩舎に戻って2階にある部屋に戻ると、お風呂に入り、ベッドに潜った。
 「まだ9時だけど、明日は朝2時起きだもんな」

 夢の中でリクオウが広大な草原を駆けていた。

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