その日の午後、昼寝から目覚めて、部屋で受験勉強をしていると、窓の外から栞を呼ぶ声がした。
栞が窓を開けると、将太と優一、それに美鈴が立っていた。
「栞ちゃん、今日の夜、鏡川で花火大会あるんやけど行かん?」優一が手を振りながら言った。
「行きたい!」
「よしっ!行こう!!あ、栞ちゃん、うちの叔母さんが呉服屋やっとって、貸し浴衣もいっぱいあるから、私と一緒に着付けてもらいに行こうや。」
「わぁ!今年は花火も行けないし、浴衣も着れないって思ってたから嬉しい!」
「じゃあ、早く降りてきて!」美鈴が笑顔で手招きする。
栞は急いでバッグに携帯など必要なものを入れると、白いTシャツに小花柄のスカートに着替え、外に出た。
美鈴と栞が浴衣を着付けている間、将太と優一はカラオケに行くということになり、4人は夕方に市街地で再度合流することになった。
美鈴の叔母が経営する呉服屋は、市街地の少し外れにあり、昔ながらの日本家屋という佇まいだった。店の入り口を潜ると30畳ほどの広さの和室に、 ディスプレイ用の棚が置かれ、色とりどりの着物や帯、小物などがきれいに並べられているのが見えた。
「はじめまして。長野栞と申します。突然お邪魔してすみません。宜しくお願いします。」栞は、入り口に現れた杜若色を基調とした市松模様の着物姿の和風な顔立ちをした、 美鈴の叔母に頭を下げた。
「あらぁ、あなたが栞ちゃんね。美鈴から話は聞いてたけど、和装が似合いそうな可愛いお顔立ちねぇ。あ、私は美鈴の叔母にあたる小夜子よ。よろしくね。 さっそく中に入って、好きな色の浴衣選んで。」
栞と美鈴は靴を脱ぐと、小夜子に続いて店の奥へと進んだ。店内の右奥に浴衣レンタルと書かれた小さな暖簾があり、その脇に30枚ほどの浴衣があった。
「うわぁ!去年より可愛いの多くなってるやん!」美鈴は目を輝かせ、どれにしようかと選び始めた。
「栞ちゃんも遠慮しないで選んでね。栞ちゃんは、色が白いから、薄いピンクとかが似合うんじゃないかしら。これなんかどう?」小夜子は、 桜色に小さな白い小花があしらわれた浴衣を手に取ると、栞に全身鏡のほうを向かせ、浴衣を栞の身体に合わせた。
「うわぁー!!めっちゃいいやん、それ!!似合ってるよ、栞ちゃん!!」栞が反応するより先に、美鈴が近づいてきて言った。
「確かに、いいですね!私、紺色の浴衣しか持ってなかったから、着たことない色着てみたいですし。」
「じゃあ、これで。帯は、これはどうかしら?」小夜子は、綺麗な菫色の兵児帯を先ほどの浴衣に合わせて、微笑んだ。
「わー!可愛い!!それで、お願いします。」
「私はこれや!」美鈴は、漆黒に大きな一輪のユリが描かれた浴衣を手に取って言った。
二人は着付けを終え、小夜子にお礼を行って店を出ると、待ち合わせ場所である、はりまや橋に向かった。 まもなく、優一と将太も現れた。
「うわぁ、二人ともえらい可愛いなぁ」優一は二人を見るなり、言った。
「そうやろ?将太、何ボーっとしてんのや。栞ちゃんが可愛すぎて、声も出んのか?」美鈴が将太を小突く。
「んなわけないやろ。いきなり、何言い出すんや。」将太は、さも興味ないというように言った。
「いつになったら、素直になるんやろうかねぇ、このお子ちゃまは。」言って、優一と美鈴が笑い始める。
そんなやりとりを聞いていて、栞も恥ずかしくなったので、トイレに行ったふりをして、この話題が収束した頃に戻ってくることにし、 近くの小さなデパートに入ると店内を見渡した。すぐそばに扇子が売っているコーナーを目に留めると、そこ近づいて足を止めた。
綺麗な扇子。お母さんのお土産これにしようかな・・・
水色に赤い金魚が描かれた夏らしい柄の扇子を手に取ると、栞は思った。
「あ、あなた須藤先生のところの・・・」突然の背後からの声に栞が驚いて振り返ると、高知に来る途中、電車で会ったリクオウの馬主である佐久間の妻が立っていた。
「あ!佐久間さん。こんにちは。高知にいらしてたんですか?」
「そうなのよ。主人が香川に出張だったから、一緒に来たんだけどね、仕事している間に高知まで行って、リクオウの様子見てきてくれって頼まれて。 さっき、ちょうど厩舎に行って見せてもらってきたのよ。毎日リクオウのこと可愛がってくれてるみたいだねぇ。ありがとう。」佐久間は優しく微笑んだ。
「電車の中で、可愛がるって約束しましたし!それに、リクオウは本当に可愛い仔で!2週間後のオープン戦楽しみですね。」
「あの仔がオープンで走るなんて、本当嬉しいわ。小さい頃はね、身体も弱いし、馬体も貧相な感じで、2歳の夏に30万でいいから引き取ってくれないかって 生産牧場から言われてねぇ・・・どうするか主人と話して実際に見に行ったら、綺麗な栗毛色の仔馬がポツンと立ってたのよ。確かに牧場の言うとおり、 貧相な馬体だったけど、目がね・・・目が澄んでいて賢い顔立ちをしていたのよ。よく、競走馬って背中が柔らかい馬が走るとか、トモの踏み込みがいい馬が走るとか、 言われているんだけど、目も重要だと私は思うのよ。素直さや賢さって目に出るんじゃないかって。」
「目ですか・・・」栞は、リクオウの目を思い出しながら言った。確かにリクオウの目は澄んでいて利口そうだった。
「それでね、30万で引き取ったんだけど、馴致終わってるっていうから、須藤先生にそう言って入厩させてもらったら、本当は全然馴致してなかったのよね。 競走馬としてデビューできないだろうから、馴致しなくていいって思ってたみたいで。それでも、須藤先生のところでちゃんと馴致からしてくれて、 競走馬としてデビューできて、1つ勝ってくれただけでも嬉しかったのに、まさかオープンまでいけるなんてね。本当、須藤先生始め、スタッフのみんなには感謝しているわ。」
栞は、以前将太と優一と海に行ったときに、二人がリクオウの馴致について話していたことを思い出していた。
―
栞が、美鈴たちのところへ戻ると3人は、昨日のテレビの話をしていたので、栞は内心ほっとした。
4人は、近くのコンビニでレジャーシート、お酒、ジュース、それにおつまみを買うと花火の打ち上げ会場へと向かった。打ち上げ30分前と迫っていたので、 結構人が多かったが、シートを広げるスペースは残っていたので、4人は座った。
「よしっ!カンパイしようや」美鈴がビールを勢いよく開けると空に掲げて言った。
「カンパイは嫌や。」優一が冗談ぽく言う。
「どうして、カンパイ嫌なの?優一さんお酒好きじゃなかったっけ?」栞は不思議そうに聞いた。
「競馬用語で“カンパイ”って発走のやり直しのことを言うんや。フライング発走があった時、もう一回発走し直すっちゅー・・・騎手始め、競馬関係者からしたら、 経験したくないことやな。馬券買っとる競馬ファンからしても嫌だろうしな。」将太が説明する。
「へー!知らなかった。」感心したように栞は頷いた。
「じゃあ、英語で乾杯って意味のチアーズにしようや!」美鈴が言うと、栞以外の3人はビールで、栞はオレンジジュースを持つと「チアーズ!!」と持っていた飲み物を空に掲げた。
花火の開始の音がなった。
間もなくして、金色の小花のような最初の花火が打ち上げられ、続いて青やピンクといった色とりどりの花火が夜の空に散った。
1時間ほどの花火が終わると、美鈴は相当飲んで酔った様子で、優一にもたれかかってうとうとしていた。
「美鈴ちゃん酔ったみたいやから、俺美鈴ちゃん送ってから帰るから先二人で帰っとって。」優一は、栞と将太に言った。
「わかった。」栞と将太は、他の花火見物客が帰る流れに沿って、歩き始めた。
「なんか、サラブレッドと花火って似てるね・・・」
「え?」栞の発言に半歩前を歩いていた将太が、振り返る。
「たくさんの人の手がかかって、レースで勝つという一輪の大きな花を咲かせるところが似てるなぁって。その瞬間、それまで関わった人たちや、 見ている人たちが感動するところなんかも似ている気がする・・・」
「・・・そうだね。そうかもしれない。」将太は、何かを思い出し考えているように見えた。