ハンプトンは、2歳から4歳まで2度3度と馬主を変えながらセリングレースや障害レース、 ハンデ戦に出走して、13戦6勝しました。3歳の時には、エプソム名物のハンデ戦・グレートメトロポリタンH(3600m)を制しています。
ハンプトンが、頭角を現したのは5歳の時で、4人目の馬主にその能力を買われ重賞のカップ戦に顔を出すようになると、 迎えたグッドウッドC(芝4000m)では、2着のスカイラークに1馬身1/2差をつけて快勝しました。続いて、イボアH(芝2770m)5着の後、 ドンカスターC(芝4200m)を2馬身差で勝利して、英国三大カップのうち2レースを制覇しました。
6歳では、5人目の馬主のもとでエプソムゴールドC(芝2400m)を6馬身差で圧勝するも、悲願のアスコットゴールドC(芝4000m)は無念の最下位入線となり、 ジョッキークラブC(芝3600m)4着を最後に、引退し英国で種牡馬入りしました。
スタミナやタフさを後代に伝え、ハイペリオンの祖となりました。
馬名 | ハンプトン | ||
性別 | 牡 | 毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1872年 (イギリス) |
死没 | 1897年12月8日 |
父 | ロードクリフデン | 母 | レディーラングデン |
調教師 | − | 競走成績 | 少なくとも35戦20勝 |